麻生百年史

電気業界への進出

41.電気事業と太吉

<名人太吉の一石>

ことに当たれば強くなり、窮状に立てば冷静になる太吉は、松本邸を後にした時、既に腹は決まっていた。つまり、事が大きすぎる。自分たち当事者だけでは、切り抜けることは難しそうだ。それに事は急を要し、あくまでも世間に知られないようにせねばならない―。あれこれと咄嗟に善後策を考えたのち、取り敢えず新社長の太田黒と専務の村上に打電して、太吉はまだ熱の下がらぬまま夜行で上京した。

翌朝、東京駅に着くと、その足で大蔵大臣の官邸へ急いだ。太吉は民間の力だけでなく、政府の力を借りようと思ったのだ。
井上準之助蔵相に会うなり、「大臣、北九州でえらい不祥事が起こりましたんじゃ」と、あのりのままを詳細に話した。蔵相は話が核心にふれてくると、眼を見張り愕然としたが、話し終わると少し冷たい口調で、「麻生さん。話はよくわかりました。しかし空手形といっても、それは九軌の社名手形である以上、九軌に責任がある。九軌を引き受けた九水が整理するほかはないでしょう」と、太吉から眼をそらした。
この井上蔵相の言い分に、太吉は腹がたったが、ここで蔵相を取り逃したら大変なことになると思いかえし、その眼を追って睨み付けるようにして、「大臣、そりゃあ、いわれる通り不正手形でも、九軌の社名入りです。しかしそれはあくまでも法律上の問題で、法律のことは、私にはようわかりませんから、弁護士と相談してみまっしょう。それより問題は、目前の不正手形をどう処理するかでっしょう。もしこのことが少しでも世間に漏れたら、二年前の取り付け騒ぎになるかもしれまっせんぞ」威しではなく、事実起こりうる事態を率直に言ったのだ。この一言で蔵相は折れた。硬い態度も少し和らいだ。
「麻生さん。よく解った。金融のことは出来るだけ責任を持って便宜を図るから、整理の方は内密に、あんたたちの手で責任を持って始末して下さい」この勝負は太吉の勝ちであった。蔵相の胸元に飛び込んで、これだけの言質をとった作戦は成功である。
しかし表面は渋い顔をしながら、「そうですか。大臣が金融の便を図って下さるのなら、整理の方は私が責任を持って引き受けまっしょう」と、念を押して官邸を後にした。

名人の碁は、第一石の打ち方で大勢が決まるという。不正手形の整理は、太吉が蔵相の前にパチンとおいた初手の石によって、本筋は決まったのである。この話し合いがなかったら、九軌の整理に満足のいく結果は望めず、おそらく大変な事態に立ち至ったであろう。麻生太吉の一世一代の大出来な一幕だった、と本人も後で語っている。
間もなく上京してきた太田黒、村上、それに九水の幹部も交えて、鳩首会議を開き、善後策を協議した。
太吉は井上蔵相の言質をとって、勢いは良かったが、顔色は冴えなかった。周囲の者たちが心配して熱を計ったら、やはり三十八度を超えていた。それで人々のすすめに従い、後は村上専務に一応任せることにして、そのまま東京で病床に臥した。
当時七十四歳の老体で、誰にも打ち明けられぬ大事をじっと胸底に秘め、高熱に冒されながら旅宿の一間で、太田黒社長たちの上京を待っていた太吉の心境は悲壮なものであった。後でさりげなく「実際のところ参ってました」と、笑いながら親しい人に話している。

その後、井上蔵相は、太吉との約束通り、興銀から二千四百万円の融資を斡旋し、空手形の回収が始まったのである。
その衝に当たることになったのは村上専務で、極秘裏に、それこそ家族にも打ち明けず、東京・大阪・京都・神戸への何ヶ月も銀行回りの旅を続けたのであった。一時は大阪あたりに女でも囲っているのでは、と怪しまれるなどの一幕もあった。そして八ヶ月目に、最後の空手形を回収して、遂に一件は表沙汰にならずに終わった。
その間、松本前社長の整理については、まず個人債務の一千九百万円を返済して、有利な担保物を取り出す。それを処分すれば概算一千二百万円ほどの利益が浮び上がる。それを会社名の不正手形の方に廻し、不足額は名品ぞいの書画骨董類、その他私財を処分すると、実質の損失は四百万円ほどになった。殊に昭和七年(一九三二)以降財界が好況に向いてきたので、書画骨董類が予想以上の値で売れたのがその一助となっていた。

太吉たちは、ついで九軌再建のための臨時株主総会を開き、その席上で事実のすべてを明らかにしたのち、従業員三百三十人の整理、重役はじめ月給百円以上の高級社員の減俸、福岡急行電車計画の放棄、年間百万円の経費節約などを打ち出し、さらに今までの一割二分の高配当を漸減、昭和七年(一九三二)六月二日、お世話になった日銀、興銀をはじめ各銀行の幹部を、帝国ホテルに招待して、感謝の小宴を催したが、その席上、土方日銀総裁は、来客を代表して心からの祝辞をのべた。「九軌の不祥事件は、わが財界空前の出来事で、救済の処理を誤れば、財界に恐るべき波乱を招来するものであった。当時の蔵相も心配尽力せられたが、幸いにしてこと無かりしは、局に当たられた麻生、太田黒その他の重役諸氏の機宜を誤らぬご努力の賜である。殊に前後八ヶ月秘密を保って全国に散った手形を引き上げ、何等の波紋を起こさなかったお手際は、実に財界の奇蹟と申さねばならぬ。この事を思えば、中央にある我々が、むしろ九軌当局の諸氏をご招待して、お礼を申し上げねばならぬ筈である」(後略)と、率直に喜びを隠さず、太吉たちの努力を褒め称えたのであった。

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