麻生百年史

炭券
燃える石

10 鯰田から忠隈へ
鯰田炭坑の着炭に成功した翌日、もう太吉と長右衛門は忠隈に向かっていた。久しぶりに二人で忠隈の山を見てまわるうちに、いつのまにか幼いころの遊び友だちにかえって、秋風に向かって馬を走らせ競争したりして、日ごろの労苦を一瞬忘れようとしていた。その日一日、存分に忠隈の山を見てまわり快い疲れを覚えながら鯰田に帰ってきた。

風呂で汗を流しながら「どうじゃ、なかなかよか山じゃなかな」「そうですたい。炭質もよかですな……」この言葉を長右衛門は何気なく聞いていたが、それが迂滑だったことをその後知らされたのだ。夕食をすまし一服をしていると太吉がいきなり「長右衛門よ、明日から忠隈へ皆でいくことにするバイ……」といって、キット目を据えた。長右衛門は一瞬、返す言葉もなく、太吉のきびしい顔を眺めているばかりであった。太吉はそんな長右衛門においかぶせるように、さらに「全員忠隈に行くといっとるんじゃ」
「本家、なんちゅうことをいいだすのじゃ。苦労を重ねてようやくスミば掘りだすばかりにまできて……。一体何を考えてなさるのじゃ。わしにはよう解らん」「お前もあの山はええ山じゃ、といっとったろ」「まあ、それはそうですたい。ばって、これからまた新しくヤマをひらくとなりゃあ、二年や三年かかると思わにゃいかん。いったい金もいくらかかるか……」「それは心配なかと思うとる。親父によう話して、綱分の煽石でなんとか賄ってもらうつもりじゃ」「そいでも……」頭をふって不承知を示していた。が、太吉はそんな長右衛門に頓着なく「これはやらないかんことじゃ」と、きっぱりといって話を打ちきってしまったのである。

間もなくこの話を伝え聞いた賀郎も太吉の真意を聞こうと鯰田にやってきた。その時はもう事務所の前で、先輩の坑夫たちが出発の準備をはじめていた。その中にまじって太吉がテキパキと指示を与えているのを眺めて賀郎は満足気に頷いた。
――太吉も、もう立派な一人前じゃ。これならすべてを任しても、安心じゃわい……。
その傍に、太吉が近づいてきた。「やあ、お父っあん。久しぶりで……。一度ゆっくり話をしにゆこうと、思っとりました」「わしもそう思うて、やってきたとこじゃ」二人は肩を並べて事務所に入って腰を下ろし、渋茶を呑みながら話し合った。

「わしは鯰田が着炭してこれでやれ一安心。これからと思うとったが鯰田をこのままにして忠隈に行くとは、どういう考えじゃ」「お父っあんにはわかってもらえると思うとりますが……」と、しっかりとした口調で、ゆっくりと話しだした。「ヤマちゅうもんは、いつ火が出たり水が出たりして、駄目になるかわからん。じゃけん、一つのヤマにこだわっちょると、そのヤマがつぶれたら、すべては終わりになりますばい」賀郎は、黙って聞いていた。「ヤマの主だけならそれでもよかが、何百人もの坑夫やその家族が犠牲になりますばい。その時になって、あわてて新しいヤマを探しまわり掘りはじめても、そりゃあもう手おくれですたい」

頷きながら賀郎はいつになくおとなしく聞いていた。「そんな時、もう一つのヤマがあればみんな飢えんですみまっしょう。いつ高島のヤマみたいなことが、おこらんともかぎりまっせんでっしょうから……」太吉は今度は、少し父のほうに椅子を近づけて「忠隈は大々的に取り組んでもよかヤマとにらんでおりますばい。忠隈でスミが出はじめたら、こんどは鯰田にもどって、掘るだけ掘って、ここのもうけを忠隈につぎこむつもりですたい。ばって、これはお父っあんに頼みますが、それまでの応援をよろしくお願いします」と、いってペコリと頭を下げた。

賀郎はこの太吉の成長ぶりにいつものギロリとした目を細めて深く頷きながら椅子から腰をあげて近づき、その肩を軽く叩きつづけるのであった。
この太吉の先見の鋭さはのちの笠松炭坑の水害の時はっきりと証明された。
このころから将来の『麻生』の基礎をつくり上げる資質と、経営者としての手腕が頭をもちあげはじめたのである。

忠隈は鯰田の経験を生かしたうえでの採掘だったので坑道の配置、坑木の組み方、また機械化を想定した設備の配置など、いままでの採炭とは格段の進歩であった。そのためか開坑後わずか三か月の明治二十年(一八八七)二月に着炭にこぎつける進行ぶりであった。そして太吉は着炭と同時にかねてからの計画通り再び鯰田にとって返し、いよいよ鯰田の本格的な採炭にとりかかったのである。この再度の転進をいぶかるものたちもいたが、太吉は一言の文句もいわせず強引に押しきっていった。

そして鯰田坑もこの太吉の信念に応えるかのように再開の初日から待望の石炭が出るようになった。「出るわ、出るわ……。バンザイ」坑夫たちも今までくる日もくる日も石ころばかり掘りつづけていただけにこの黒光りする“燃える石”を手にしてついバンザイを叫び、よごれた手で眼がしらをこするものもいた。全員がいままでの労苦をふっとばす勢いで励みヤマは活気と喜びにあふれたのである。もう今では太吉のやり方に不審を抱くものもなく逆に信頼と尊敬の眼なざしで眺めかえすようになっていた。そして毎日毎日黒色の燃える石が掘り上げられ、みるみるうちに小山が築かれていった。

長右衛門と太吉の二人は、この黒ダイヤの山を前にして「本家、とうとうやりましたなあ……」そういって心から喜ぶ反面、いまでは初めにちょっとでも太吉の忠隈行きをいぶかり、不服をもった自身を内心恥じていた。
しかし太吉はそんな長右衛門に頓着なくけろりとして「長さん、ほんに長い間ありがとう。これからは安心じゃ。全財産ば投げだしたが、これで回収のメドもついた。うんと頑張ってようなろうたい」といって、深く頷く相手に更につづけた。

「それでわしは、これからヤマ一筋に行く決心をつけた。いままではいくら掘っても、スミが出なけりゃあそれまで、と思うとったが、これで心が固まったとじゃ。それで戸長やそのほかの公の役職のすべてから引退じゃ。おやじも解ってくれると思う」「本家、よう心を決めてくださいました。私もそのことは、いつも頭にありました。といって、私からすすめるわけにもいかんことですし。ヤマはメドがつくまでカケですもんな」「そうよ。いくら男が体をはっても、スミにぶちあたらな、なんにもなりゃせん。しかしここまでくれば、もう躊躇したらいかんばい。ここはいちばん、スミとはり合うてもよかと思うとる。たのんだぞ。長さん」「やりまっしょう。掘って掘って掘り抜きまっしょう」そういって、若い二人はしっかと手を握り合い、いつまでも“燃える石”の小山を眺めつづけたのである。
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