麻生百年史

日誌 麻生本家

活躍と苦難の時代

19 太吉の動揺
太吉は一人で自分の不思議ともいえる運命を振り返っていた。三菱に鯰田を売った時も土壇場であり、また今度はもうどうにもならない間一髪ともいえる時期に、住友が救いの手を差し延べてくれた。日ならずして一円札で十万八千円の札束が荷車で太吉の家に運びこまれた。太吉は、その山と積み上げられた札束を前にして、その重みをじっと噛みしめ、そして、なんとわしは恵まれた男なのだろうかと、しみじみと自らを顧みていた。そしてその裏側では、この大金をまた新しいヤマに注ぎ込み、使い果たしてしまうのではないかと不安と惧れが胸中をよぎった。

ふとその時、亡き父の顔が脳裡に浮かんで消えた。今の太吉は、こんな時、父がいてくれたら、と願わずにはいられなかった。―――だが、今は一人である。幼い頃の父の教えの“程度大切”のとおり、自分にはまだその“程度”がよく解らず、事業家としての眼と腕も未熟で、いい加減なものではなかろうか。このような不安と焦燥に太吉は苛まれていた。時には苦しさのあまり、遠賀川のほとりを父の面影を追って徘徊したりもした。

こんな時、父だったらどうするだろうか・・・・。きっと迷うこともなく、全力をもってヤマと闘うだろう。今にも厳しい父の声が聴こえてきそうである。「太吉ッ。しっかりせい。そんなことでへこたれるとは、一人前の男じゃなか。しっかりせい」だが、今の太吉にとっては、その声も力とはならなかった。そんな想い悩む暗い日が続いた。しかし太吉にとっては、人生のうちもっと良い時期をヤマで過ごしていた。だからおいそれとそれから離れるわけにも行かなかった。

そんな頃のある夜、太吉は珍しく夢を見た。おびただしいヘビが蔵の中にいる。そのヘビが蔵の小さな穴から這い出そうとしていた。間もなくそのヘビたちは、その穴から出たり入ったりしはじめたのである。その瞬間に目が覚めた。と、太吉は何かよく判らなかったが、急に目の前が明るくなったように思えた。夢が太吉に暗示を与えてくれたようである。太吉は巳年生まれで、ヘビは自分の干支であった。ヘビが穴を出入りするのは、穴に縁がある。つまり坑にツキがあるのでは、と解釈したのである。そしてそこから、多少手前勝手ではあるが、自分にも運が向いてくるのだろう、と思ったのだ。

そう思うと、思ってもみなかった三菱とか住友という大手にいつも急場を救われている。もしその逆に救い手が現れなかったとしたら、それこそ見るも無残な敗北で、今ごろは夜逃げの相談でもしていたかもしれないのだ。やはり運はあったのだ。―――そう思い惑った末、ようやく心の落ち着きを取り戻したのである。―――やはり自分達にはヤマしかなか。一から出直してやろう。と、心を固め、妻のヤスにも、「おまえ、わしはやっぱり、石堀りをやるぞ。この夢はお父っあんのお告げに違いなか・・・」と、言った。ヤスも深く頷きながら、「それはきっとそうです。それに違いございますまい。頑張って下さい」と、後は声にならず、じっと太吉の逞しい顔を見上げていた。

人間の一生のうちには、他人からみればこんな他愛もない夢であっても、本人にとっては、重大な啓示を与えられるときがある。太吉にとっても、これが一つの転機となったようである。
そう腹が決まると、昨日までとは見違えるほどの晴れ晴れとした顔つきとなって、住友から得た金を前にして、新しいヤマへの計画を練り始めたのである。 
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