24 藤棚坑の火災
太吉の妻ヤスの兄に吉川幹吉という人物がいた。彼は若い時から炭鉱業で成功しようと志を抱き、鞍手郡で二、三人の仲間と藤棚坑を経営していた。ある日その吉川が、突然太吉を訪ねてきて、「早速ですが、お願いに上がりました。というのは、いま私が共同でやっている藤棚を私個人のものにして、もっと大規模にしたいと思うとります」といって、同行していた銀行員を紹介したのち、「実はあなたの保証があれば、銀行が買収の資金を用立ててくれるというのです」と、頼み込んだ。しばらく考えていた太吉は、この藤棚は有望だろうとの見方をしていたことから、この依頼を快く承諾し、裏書に応じた。
「ようござっしょう。わしに任せなさい。だが幹吉さん、いくら親類でも公私ははっきりとしてもらいまっしょう」「わかっとります。どげなことがあっても、決して太吉さんには迷惑ばかけまっせん」これで話が決まり、太吉の保証人というかたちで吉川の単独経営が実現した。
だが、それから日ならずしたある朝、弟の太七が駆け込んできた。「兄さん、大変だッ。藤棚が火事じゃッ」「なにッ、火事じゃと・・・」「詳しいことはわからんが、放火らしか・・・」「本当か・・・」炭鉱経営者の最も恐れていたことが起こったのである。「よし、すぐに行く。豆田の長右衛門にも知らせろ」太吉は敏速に指示を与え、身支度をととのえて現場に急行した。火の手はすでに坑内の奥まで広がり移っていた。吉川は真黒になって消火にかけ回っていた。太吉も坑口から噴き出す黒煙と異臭から、この火事のただならぬことを見てとった。そう簡単に消せるものではない、と思った。「しっかりせいよ。みなで力を合わせて消そう」と、慰めるのだった。
しかし折角、念願の単独経営者となって喜んで張り切ったのも束の間で、この事故に遭った妻の兄の幹吉の運の無さを思いやると同時に、自分にふりかかってくる保証人としての債務を、自分ですべて処理することを胸のうちで決め、それに必要な計算もしていた。間もなく豆田から駆けつけてきた長右衛門も、現場を見て唸った。百選練磨の彼にしても、一瞬、どこから手をつけていいのか見当がつかないほど、現場は凄まじい状況であった。しかし太吉は、皆が半ば呆然としているのに、大声で、「さあッ、みんなやろう。消すんじゃ・・・」と、ハッパをかけた。それに応えるように、長右衛門が、「さあ、ポンプを組み立ていッ」それでみんなも我に返ったように動きだした。その間に他のヤマにもポンプを借りに人が走った。
そのころ坑内は、全体に火がまわって坑道という坑道は火の河となって、そこから黒煙が渦巻き、吹き出していた。坑内に入ろうにも悪質なガスがたち混め進むことができない。熟達した坑夫が入れかわり立ちかわり現場に近づくが、火勢におされて消火ははかどらなかった。他の炭坑から借り集めたポンプも、いたずらにホースを伸ばしても役に立ちそうになかった。太吉はじりじりして、ついに、「さあ、わしも入るぞ」と、先頭に立った。これには、長右衛門がびっくりして、「本家、大事な体ですばい。何人もの若いもんがガスに撒かれておるのに・・・。ここはわしに任せてつかわさい」と、慌てて止めた。しかし、一度言い出したらきかない太吉は、「わしを年寄り扱いするんか。お前と同じ歳じゃなかな。まだまだ・・・」と、少し笑って、さっと頭から水をかぶって坑内に入ってしまった。坑内は焦熱地獄で、立っているのがやっとであった。
太吉は、この大規模な消火と立て直しには、莫大な費用が要ると思った。もはや吉川幹吉の手に負えるものではない。自分がやらねばならない。義理の兄弟、そして保証人といういきがかり上からも、ここは乗りかかった舟というだけでなく、立て直しに力を注がねばと決意したのである。
藤棚の火事もおさまって、ほっと一息つく間もなく、またしても厄介なことが起こった。ことは明治十四年(一八八一)に遡る。中鞍手郡に存在していた鉱区を、当時羽振りをきかせていた藤田組が獲得して、筑豊に地盤を築こうとしていた。その計画を見抜いた許斐鷹助が主となって反対をとなえ、明治十五年(一八八二)に時の工部卿の芳川顕正に猛烈な運動を繰り広げ地場のことは地元の資本家を重用すべきだと説いて、ようやく許斐はその所有者になった。
その後、この四十八万坪(百五十万平方メートル)の大鉱区を二分して、藤棚と本洞としたのであるが、藤棚は間もなく人手を経て、吉川幹吉に、本洞は許斐から堀三太郎の所有となった。そして吉川幹吉は、この同じ鉱床を持つ本洞も藤棚と同様、良質の炭層であることを見越して、買収交渉を進めていたのである。そして種々折衝の後、かなりの価格で経営一切を移譲してもらう契約の仮調印を済ませた。
だが、間もなく吉川は藤棚の災禍に遭ったため、先の見通しもおぼつかなくなったことから、堀に仮契約の解消を申し出たのである。すると堀は、吉川では話がまとまりにくいと思ってか、吉川の後ろ楯となっている太吉の事務所に突然訪れてきた。そしてしゃべりだした。「ご存知と思いますが、わしは本洞を吉川さんに売る契約ばしとります」太吉はしばらく太い腕を組んで黙って聞いていたが、堀が革鞄から書類を取り出して声高に続けるので、ゆっくりと話し出した。
「それは承知しています。しかしこの度の突然の火災で、事情も少し変わりました。吉川にはもうどうすることもならんので、わしがこれから事後処理と債務を全部肩代わりしていくつもりです。それであんたとの問題も、できたら一応この際は解消ということにして下さらんか。吉川もそうあんたに頼んだというとりましたが・・・」
堀は太吉の話を聞くなり、一膝乗り出すように椅子をすすめ、鞄から出した書類を叩きながら、「事情はそうかもしれませんが、ここうこうして仮契約書をかわしとる。わしもその後そのつもりで新たに施設などの整備、導入などを中止して買うて貰ったもんと思って安心しとりましたんじゃ。こっちも大いに迷惑ばしとる」と、語気を強めてきた。それまで傍らで黙って聞いていた長右衛門が、こらえきれずに、「わしらは何も好きこのんで藤棚の後始末など引き受けたわけじゃあなか。吉川さんも災難じゃったが、うちも災難じゃ。その上にあんたとの約束まで背負うのは、とても無理ではなかでっしょうか」
この長右衛門の言葉に、堀は反撥するように一つ大きく肩で息をしたその隙に、太吉が穏やかな語調で言葉を挟んだ。「ま、話し合いは穏やかにしまっしょ。堀さんもヤマばやっておられることじゃから、くどくど言う必要もなかが、今の吉川さんやうちの状況では、とても無理ですたい。手一杯じゃ。わかってつかあさい」「いや、麻生さん。それは困る。もう本洞は売ったつもりで他の仕事にもかかり始めとる。ここは一つ後ろ楯のあんたに、うんと言ってもらいたい」一歩も退かぬ構えで、堀は迫ってきた。
太吉は殺気だった空気を抑えるように、「幾度いわれても、無理なものは無理ですたい。どうかわしの苦しい事情も解ってもらいたい。わしがこの通り、頭を下げますたい」と、いって膝に両手をついて頭を下げた。堀は太吉が頭を下げるのを見て、一瞬たじろいだ。だが堀は、当然太吉が引き受けてくれるものと思って乗り込んで来ただけに、肩透かしをくった思いもした。それで、歯切れ悪く続けた。「では、どうしてもあのヤマば引き受けて下さらんちゅうのですな。これじゃ互いに話し合うても埒はあきませんな」と、いった後、なおも捨て台詞のように、「今日のところはこれで失礼しまっしょう。いずれ改めて伺いますけん」と、連れの男と肩を怒らせて帰って行った。
太吉は、その後姿を眺めながら、「これはやっかいなことになりそうだわい」と思った。というのは、この堀の背後では筑豊の石炭王と言われている貝島太助が糸を引いていると見たからだ。事実この件で堀は貝島に相談し、助言を求めていた。その時貝島は堀に、「そんなことは簡単じゃ。麻生に引き受けてもらえば、それでよか。こじれるようじゃったら、わしが一肌脱いでもよかたい」と言っていた。しかし太吉にとっては、今は苦しい時期であった。現在手がけているヤマだけでも、上三緒、山内、豆田と、その上に藤棚の債務を背負っていた。さらにその上に本洞を引き受けることは、事実上無理なことだった。