26 貝島太助との対決
その後も堀は、太吉の断り続けるのにも構わず、再三再四訪れてきては執拗に食い下がってきた。太吉は、これらは全て背後の貝島の指し金だとにらんでいた。貝島太助は、太吉同様、少年時代から坑内に入り、裸一貫でたたきあげた男であった。その後、大鉱区の大之浦を開坑し、折からの日清戦争の石炭ブームに乗って筑豊一の出炭量を誇るヤマ持ちとなっていた。そして世間では、この貝島と安川、それに麻生太吉を加えて“筑豊のご三家”と呼んでいた。
何日かたったある日、堀では埒があかぬとみてか、貝島太助の弟の六太郎が訪れてきた。この男も太助同様、ヤマでたたき上げた男であった。六太郎は、ヤマ男特有の単刀直入な言い方で迫ってきた。
「今日は兄の代理で来たとですから、ただで帰ることはできまっせんばい。仲立ちを持ち込まれた以上、遣り遂げる決心ですたい」静かに聞いていた太吉も、相手からこう突っかかったものの言い方をされては、こちらの立場も無視され、メンツもあると思った。
「あんたたちは、メンツでわしを叩き潰すということですな。そしたらわしにもメンツがございますがな・・・」ここまでくると、もう話し合いも難しかった。交渉は決裂である。そばにいる長右衛門は太い腕を組んで、相手を睨み返していた。相手もそれに応じるかのように、ぐっと睨み返し、「これまでですな・・・。ではいずれ」と、言って乾分を従え、大股に出て行った。それを苦々しく見送りながら、長右衛門は、「これはいよいよ出入りですな。相手が相手だけにやり甲斐がありますな・・・」と、言って太吉と目を合わせた。
次の日から筑豊のヤマはこの噂で持ちきりとなった。炭坑王といわれる貝島と、まだ若いが大物と見られている麻生の対決は、まさに格好の話題である。それでなくしても、血の気の多い川筋気質の男達である。翌日から頼まれもしないのに、互いの陣営にぞくぞくと集結しだした。「今日こそは、出入りやぞ」
貝島の方には何人集った、武器もたくさん運ばれた、などの流言が飛び交い、まさに嵐の前の光景を現出した。
しかし太吉は、こんな光景を見ながらも筑豊の先輩である貝島に、最終的には恥をかかすことは出来ないと考えていた。そして真夏の太陽が照りつける七月のある日、直方の料亭で貝島太助と麻生太吉の会談が行われることになった。
貝島太助から直々に、太吉と一対一での会談の申込みがあったのである。長右衛門をはじめ、腕におぼえのある者たちは、「本家ッ、この際徹底的にやりまっしょう」と、気負うのに、太吉は長右衛門に、「これはわしと貝島太助との一世一代の対決じゃ。おまえ一人介添えについて来れば、それでよか。他の者は騒ぐことはなか・・・」
静かな語調でそう言った後、和服にキリッと角帯をしめて玄関を出た。その後姿には四十を半ばすぎた大実業家の風格が滲みでて、見送る人たちにも、ある安心感を与えていた。
そして太吉は胸のうちで、すべては相手の出方次第、会ってから心を定めようと考えていた。会談場所の料亭の雰囲気はいつもと違って、緊張の糸がピーンと張り詰めた感じであった。閑かな別室で待っていた二人に、ややあって女将が、「貝島様がお着きになりました」と、告げにきた。太吉は思わず、貝島は何人で来たろうかと思った。長右衛門も同じ思いだったのであろう、それを女将に訊ねていた。「お二人です」と、いった女将と入れ違いに、当事者の堀と太助が姿を見せた。互いに席につくと型どおりの挨拶が交わされた。
四人はしばらく黙っていた。互いに相手の様子をうかがうというより、最初のきりだしで全体の優劣が決まりそうに思えたからだ。
ようやく重苦しい空気を押し返すように、貝島太助がしっかりとした語調で口をきった。「麻生さん。この話は男と男の話し合いですたい。要は本洞を受けて下さるかどうか。それだけ返事を下さい」気迫のこもった声で言い、じっと太吉の目を見据えた。太吉もまた、その目をしっかりと見返した。すると貝島は、少し太吉の方に膝をすすめるようにして、「麻生さん。あんたは男でござっしょうな・・・」
この一言で、すべてが決まった。
太吉はこの時、ここで断れば貝島は本洞を引き受けるであろう。だが、自分の名が廃る。名をとるか実をとるか、咄嗟の間に心を決めたのだ。それで腹を据えて言った。「わしも男ですたい」これで勝負は終わった。あっけない幕切れであった。貝島はその太吉の言葉を聞くなり、席をすべって太吉のそばに寄り、「ありがとう、ほんによかった。危ないところじゃった。四人だけのことじゃなか、若い男たちの血を流さずに済んだ。町の人達にも・・・」と、言って、太吉の手をしっかと握った。太吉もその手を力強く握り返していた。
堀は座で頭を低く垂れ、長右衛門の眼は涙で潤んでいた。敵同志は一瞬にして男の友情で結ばれる間柄となった。
「麻生さん。この償いはいつか必ず返さしてもらいます。本洞が儲からんことは、このわしにもようわかっとります」そう言って、深々と頭を下げた。間もなく席は、祝宴の席に変わった。まさに筑豊の町を二分した、といっても過言でないこの争いは、あっという間に終止符が打たれたのであった。太吉と太助の両雄は、晴ればれとした顔で笑い、快く盃を重ね合わせていた。