麻生百年史

火難と好運

27 本洞の火災と苦闘
本洞を引き受けた太吉は、現場を長右衛門に、事務一切は野見山米吉に任せて、事務所も飯塚から本洞の隣の藤棚に移した。やると決まれば、どのような場合でも全力投入する太吉は、最初から困難を予想されただけに、本洞の開坑には全力をかたむけた。
この頃は日清戦争の爆発的ブームがおさまり、石炭景気も徐々に下火となりつつあった。しかし政府は日英同盟を結び、産業の近代化に力を注いでいたので、そのエネルギー源となる石炭の需要は確実に伸びつつあった。

ところが、ようやく本洞の目処もつき始め、一安心と胸を撫で下ろしたその矢先に、またまた火難が降りかかってきたのである。それはある初秋の晴れた日であった。ちょうど長右衛門が昼食の箸をとった時、「頭領っ、大変! 本洞から火が出ましたっ」若い坑夫が叫びながら飛び込んできた。「やったかっ」箸を捨てて、長右衛門は現場へ駆けつけた。

廃棄された古洞内のガスによる自然発火であった。この種の小さな火事は、今までにも度々起こっていた。だが、最初に発見したのがポンプ係の未熟な若い坑夫だったため、つい好奇心から本洞の前に積んであった廃石ボタを取り除いてしまったのだ。これで空気を得た小さな火がパッと広がり、炎が流れはじめたのだ。
ベテランの坑夫だったら、逆にその壁の隙間を手早くふさいでしまうのであるが、不運なことであった。

現場についた長右衛門は、これを見てテキパキと指示を与えた。早速出火した古洞を密閉して外の空気を遮断した。板や土やレンガを積み上げ、坑口を塞いだ。そしてもう一隊は古洞の奥から注水するために、別の坑道を掘り進むようにした。
この報せを受けた時、太吉は風邪で寝込んでいた。が、火事と聞いて飛び起き、熱のあるのもかまわず駆けつけた。「よし、古洞で幸いじゃった。今のうちに消してしまえ」と、激励した。が、古洞の新しい坑道掘進もなかなか捗らず、注水するまでに一週間を要した。

この注水により、一応火勢は衰え、おさまりかけたように見えた。「ようし、これで藤棚の二の舞ばせんですむたい」そう言って、坑夫達を労うためコモかぶりの栓を抜いて、一同が杯を上げた時、一人の坑夫が青くなって駆け込んできた。「頭領っ、大変だっ。火が本卸しに抜けたぞっ」火が水に追われて炭層を貫き、現在作業している本卸しにまで及んだのである。一瞬の油断が取り返しのつかないこととなった。一度火勢を盛り返した火は、もういくら注水してもなんの効き目もなかった。坑内は火の河となり、地鳴りをたてて炭層は燃え広がり、落盤が続いた。「長右衛門っ、もう水じゃ駄目ばい」「本家っ、もうどうにもなりまっせん」「こうなったら、密閉するしかなか」そう言って、注水作業をあきらめ、密閉作業に切り替えたのである。

本洞は、はじめ許斐鷹助が経営していたが、初期のタヌキ堀りの全盛期に乱掘された坑道が八方に広がり、クモの巣のように張り巡らされているので、なまじの消化作業では埒があかなかった。この一つ一つの坑口を密閉して、火を地下に押さえ込んで、炭層を守ろうとする作業である。太吉をはじめとして、長右衛門、それに事務長の野見山まで、全員で茂みを分け古い坑口を探しまわり、見つかればすぐ壁を築いて密閉するのである。

この苦しい作業に数ヶ月を費やし、一応の目処がついたのは、明治三十五年(一九〇二)の秋も深くなった頃であった。しかしそれも束の間のことで、いったん地下に押さえ封じ込めたつもりの火は、炭層を伝わって、さらに深く広がっていったのである。「炭層から、煙が立ちよります」その報せで降りてみると、そこはすでに業火の海で、もうどうしようもなく、所詮は密閉作業の失敗でしかなかった。太吉もついに最終的な決断をする時期に立ち至ったのである。それで早速、幹部たちを事務所に集めた。

そして、消化を続けるか、新坑を掘るか、または放棄するかの三つに絞って、論議を交わした。まず初めに、弟の太七が意見を述べた。「わしはこれから先の従業員やその家族の生活のことなどを考えると、この際は残念じゃが、このヤマは放棄するしかなかと思う。これ以上深入りしよると、麻生全体が危のうなる。今はまだ二つのヤマが残っとることだし・・・」これに対して、長右衛門が珍しく意見を吐いた。「しかしこの火は麻生だけの問題じゃなか。ヤマ全体のことじゃ。いずれ誰かが消さにゃならん。これはわしら人間と火の闘いであり、勝負じゃと思う。麻生はそれに負けて逃げたと言われるに違いない。だからこの場だけのことでなく、これから先のことを考えればここで踏ん張っていかにゃあならんと思うがどうじゃろうか・・・」
これについて様々な意見がでたが、結局消火か放棄かの二つに絞られ、最終的に太吉の断を待つことになった。

太吉は皆の意見を聞きながら、それぞれのヤマに賭ける熱意と執念、それに闘志を肌にヒシヒシと覚えていた。と共に、「いつも火が出るたびに怯え、あっさりと放棄していたのでは進歩もない。これは自分一人のことでなく、いつか誰かがやらねばならぬ試練じゃ」と、考え続けていた。だから、人々の期待と不安の入り混じった顔をゆっくりと眺めまわしたのち、「よし、決まった。一つやってみよう。みんな力を貸してくれ」と、きっぱりと言い放った。
  • 前のページ
  • 目次へもどる
  • 次のページ