麻生の足跡

大浦荘

麻生の足跡−地域とともに−
大浦荘
 麻生の初代、太吉の長男、太右衛門の住宅として建築された「大浦荘」。柏の森の麻生本家を中心に建てられた麻生一族の住宅のひとつで、数寄を凝らした和風入母屋書院造りが美しい邸宅です。竣工についてははっきりとした記録が残っていないものの、残された資料、建物に残された銘などから、大正13(1924)年には完成していたと思われます。
 1階773.4平方メートル(約234坪)、2階62.7平方メートル(約19坪)の広さを持つ大浦荘の建材は、主に桧と杉。柱はすべて、「四方柾(しほうまさ)[写真1]」に製材されています。4面に柾目を出した木材で、1本の原木から数本の柱しか取れないためひじょうに高価な木材でした(現在では、このように豪奢な製材は行われていません)。また、欄間[写真2345]にも高級材に精緻な細工が施されており、贅を尽くして建築されたことがうかがえます。
 正面を西に向けた建物は、大きく4つの棟にわかれています。玄関と応接間から成る玄関棟を中心に、接客に使われた南側の棟と2階建てになった北側の棟を南北に長く伸びた畳敷きの廊下[写真6]でつなげ、東側の棟には台所や女中部屋などを配置しました。なかでも特徴的なのは、中央の玄関棟です。中心よりやや南寄りに玄関[写真78]があり、その北隣に内玄関を設けていますが、玄関と内玄関を並べた設計は麻生本家の造りにならったものです。玄関の南側には、寄木貼[写真910]、折上格天井[写真1112]の、威風堂々とした洋風の応接間[写真1314]。このような「書院造りを基調とした洋広間」は、明治から大正にかけての大邸宅に多く用いられたスタイルです。
 玄関前の車寄せにこんもりと寄せ木[写真151617]をつくっているのも、麻生の住宅の特徴のひとつ。また、芝生を張り巡らせた庭園[写真1819]の背景となっている森も、自然のものではなく、太吉が好んだツツジを中心に植樹したものです。
 現在、大浦荘は、麻生および麻生グループ各社が来客の接待や社内の会合などのために利用するクラブとなっています。長いあいだ、一般市民に公開したり使用されたりすることはありませんでしたが、麻生の持つ文化財を通じて広く一般のみなさまに明治・大正期の代表的な大邸宅の建築に触れていただく機会を設けると同時に、地元との交流をより深めるため、平成15(2003)年から「筑前いいづか 雛(ひいな)のまつり」の期間中に公開することになりました。以来、毎年10日ほどの「大浦荘 春の特別公開」では、邸内で雛人形の展示や講演会も行い、市内はもとより遠方からもイベントに訪れる多くの観光客にとって、大きな魅力のひとつとなっています。

※2007年秋より「紅葉の大浦荘」も特別公開しています。
大浦荘
住所:福岡県飯塚市立岩1060