最盛期には32を数えた筑豊の芝居小屋も、映画やテレビの普及、石炭産業の衰退などの要因が重なって、次々に閉館していきました。そのなかで最後まで残り、いまでは全国に残る芝居小屋で唯一、定期的に興行を行っているのが嘉穂劇場です。
今回は、2度目の全壊から嘉穂劇場を個人で立て直した伊藤隆氏の子孫で、現在NPO法人嘉穂劇場の事務局長を務めていらっしゃる伊藤真奈美さんと、筑豊地区を中心に展開するスーパーASOを通じ、嘉穂劇場が夏に開催する「子どもキャンプ」に協賛している麻生芳雄商事社長、木下政利さんの対談をお届けします。
伊藤
:嘉穂劇場と麻生さんとのつながりは、とても深いですよね。前身の中座の設立にはじまって、再興時の資金繰り、最近では2003年7月に梅雨前線による集中豪雨で浸水したときも、麻生さんに助けていただきました。
木下
:あのときはほんとうに大変でしたね。7月19日から20日にかけて激しい雨が降り続いたせいで、遠賀川が氾濫して、飯塚市内の店舗の約7割が被害を受けたし、民家も数百世帯が浸水しました。遠賀川の近くに建つ嘉穂劇場も、最高で1.5mもの水位まで水没してしまって、壊滅的なダメージを受けられた。
伊藤
:嘉穂劇場の舞台に立ってくださった芸能人のみなさんがチャリティーイベントを開催してくださったり、筑豊交響楽団がチャリティーコンサートを開いてくださったり、多くの方に「がんばって再興してください」と応援していただいたんですが、正直、存続するのは難しいかもしれないと思っていたんです。復旧工事に取りかかれたのは、麻生グループの代表でいらっしゃる麻生 泰さんが音頭をとって、すぐに「嘉穂劇場復旧委員会」を発足させてくださったことが大きいですね。
木下
:麻生 泰は「嘉穂劇場友の会」の会長も務めさせていただいていましたし、「この貴重な文化財を葬ってしまってはいけない」という気持ちが強かったんだと思います。みなさんの嘉穂劇場の復興への願いを実現することは、地元の人間として、地元の企業としての使命だと考えたのではないでしょうか。
伊藤
:資金の面でも、麻生さんにはご支援いただきました。復旧委員会に義援金として寄附していただいただけでなく、ほかの企業の方にもお願いしてくださって……。嘉穂劇場をNPO法人としたことで公的な援助を受けやすくなったとはいえ、復旧委員会なくして3億円もの資金を集めることは不可能だったと思います。ほんとうに感謝しています。
木下
:どんなに資金が集まっても、並大抵のことでは1年ちょっとという短期間で再建できません。伊藤さんも、相当ご無理をされたのではないでしょうか。
伊藤
:私たちが守ってきた嘉穂劇場が、ほんとうに多くの人たちから愛されていると実感しました。それなのに、私たちががんばらないわけにはいきませんから。
木下
:市民のみなさんは、嘉穂劇場を誇りに感じているのでしょうね。被災1周年の復興記念式典で、参加なさったみなさんがほんとうに嬉しそうにしていらしたのが印象的です。
嘉穂劇場
住所:飯塚市飯塚5-23
http://www.kahogekijyo.com/