麻生の足跡

神社仏閣への寄進

麻生の足跡−地域とともに−
神社仏閣への寄進
 筑豊地区をはじめ福岡県内各地の神社や寺には、麻生太吉が寄進した鳥居や灯篭、神殿などが数多く残っています。
 たとえば学問の神様として知られる「大宰府天満宮」には、明治35(1902)年に参道に石灯篭一対を奉納。昭和3(1928)年には月山、羽黒山と並ぶ三大修験場のひとつ「英彦山(ひこさん)神社」の参道入口に山中最大となる灯篭を一対、昭和8(1933)年には宗像大神を祀る全国6000余りの神社の総本山「宗像大社」に一の鳥居を寄贈しました。
 また、麻生家の菩提寺である飯塚市川島の「正恩寺」は、明治40(1907)年に火災で全焼しましたが、そのときには隣接する土地を購入して境内を拡張したうえで本堂と庫裏を新築寄進しています。

 いずれの寄付も、太吉自身の篤い信仰心から行われたものですが、炭鉱での作業の安全と労働者たちの健康、そして残念ながら命を落とした人たちの鎮魂を祈念したものでもありました。狭い坑道を掘り進む炭鉱での労働はたいへん厳しいもので、落盤、地下水の流入、ガスによる中毒や爆発、火災など、つねに危険がついてまわったからです。

 太吉は、寄付などの慈善活動が大きく取り上げられることを嫌っていました。人格者らしく、人知れず善行を積むことを美徳と考えていたのです。しかし、神社仏閣への寄付行為については例外と考えていたといいます。
「私はたくさんの人を使っている。なかでも、炭鉱で働く人たちは危険な仕事をしている。彼らが神社やお寺にお参りしたとき、私の名前の寄付が出ていることに気がつけば、神仏の加護をともに受けられるのではないかと、なんとなく安らかな気持ちになってくれるだろう。だから、神社仏閣への寄付には、私の名前を出してもらうことにしている」。  麻生の下で働く人々のことを思う気持ちは、神社仏閣の一角に刻まれた麻生太吉の名とともに、現在も息づいているのかもしれません。

神社仏閣への寄進