麻生泰のメッセージ

九州から日本を動かす!
Move Japan forward from 九州!
一度の人生 (Z) 息子として
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 英国留学を終えて帰国してから直ぐに私は婚約しました。職探しはその後でした。父は家業の麻生に入らないかと誘ってくれましたが、私は少し国際的な仕事もしたいと思っていたので、この人が言うことなら父も耳を貸すだろうと白洲次郎さんに相談に行きました。
 白洲さんは、ご親切に三つの選択肢を示され、この全てに道筋をつけてあげるよと言われたので、その中から私は大沢商会への入社を希望しました。白洲さんはこの会社の会長をされており、「よし、上手く行くようだったら親父に頼んで“大沢・麻生商会”にして貰え」と当時の私には意味不明なことを言われたのを思い出します。

 ここで営業マンとして二年近く経った頃、家業の社長をしていた兄が政界に出るので帰って来いと父から言われました。これは引き受けなくてはならない、麻生のお陰で今まで良い思いをさせて貰っていたのだからと決心しました。兄からは、「お前は経理や財務が分かるか?」と聞かれ、「イヤー全くわからない」と答えると、「大沢さんでそれは習ってきた方が良い」というアドバイスを貰い、早速、12階にあった社長室に伺い、「恐縮ですが経理の修業をさせて下さい」とお願いすると、「家業に戻られるのは良いことです。分りました」と私のために、経理と財務の実務を半年ずつの一年コースで特別に作って下さったのです。実に有り難い待遇を受けました。
 約三年間のサラリーマン人生では多くの世間の常識を教えて貰いました。“課長によってこんなにチームは変わるものなのか”と言うのも大きな驚きでした。この三年間に7人の課長についたのですが、リーダーの差、人物の差を体感しました。

 麻生に入って、監査役として全体を勉強させて貰い、その後、専務になり、四年後には兄が当選して翌月社長を退任し、私が社長に就任しました。
 父は会長で、一月に一度飯塚に帰ってくるだけで、全て、社長や専務に任せ、東京での活動を主体にしていました。飯塚に帰ってきても天気が良ければ、鯛釣りシーズンであれば釣りに行き、海がしけているとゴルフ場に行き、雨だと会社に来るというスタイルでした。会社では専務が要点を説明し、報告を聞き、一緒にお弁当を食べるという感じでした。
 数字には強かったのが印象的です。時々、説明を聞きながら間違いや、おかしな点を指摘していました。凄いな、と言う思いを持ったことが何度かあります。
 
 私が、家族と共に飯塚に住むという判断をし、それを伝えた時に、父が喜んで、「それなら新築の家を建てる」と言うので、「それは勿体ないから今の大きな家を改装して下さるだけで結構です」と言ったのを思い出します。
 両親からは、“飯塚に帰る“、”東京に行く“という言い方で統一されていましたが、飯塚で家族と4、5年間一緒に暮したことは意味が大きかったと思います。父の思いが分かるような気がします。
 現在、私がこれほど、飯塚ブランドの向上に固執するのは、やはり、この地で家族と共に数年過ごしていることが影響しています。
“飯塚なめるなよ“と言う精神を持ち続けて且つ、何らかの実績を出していくことで父を喜ばせたいと思っています。

2012.02.20

麻生 泰