株式投資をする上で大事なのは、「会社」や「経済」を理解すること。財前が経済を動かすさまざまな人にインタビューし、疑問に答えてもらうこのコーナー。
1回目はなんと麻生太郎副総理の甥っ子で、九州を代表する企業・麻生グループの麻生巌社長が登場! 麻生社長は『インベスターZ』の中で、財前のライバル・藤田慎司に帝王学を施す経営者のモデルになっていただいた。「絶対につぶせない」家業を背負って立つ麻生社長の経営スタイルや思いを聞いた。
©三田紀房/コルク
財前:今回は九州を代表する企業、麻生グループの麻生巌社長にお話を伺います。麻生社長の曽祖父は、戦後日本の礎を築いた総理大臣である故吉田茂氏。現在の副総理で第92代総理大臣の麻生太郎氏は、伯父さんに当たります。何だかすごい家系で緊張しちゃいますが、よろしくお願いします!
財前:麻生グループは今から140年以上も前、1872年に設立されました。石炭の採掘から始まった会社なんですね。
麻生社長:福岡県の中央から北部に広がる筑豊地域は、かつて日本最大の産炭地でした。明治から戦後にかけては国内の石炭生産量の50%を担っていたほどで、「石炭成金」といわれる炭鉱主が100以上もいました。しかし、1950年代から国策として石油へのエネルギー転換が始まり、炭鉱は次々と閉山していきます。同時に炭鉱主も消え、いま九州で家業として会社が残っているのは当社だけかもしれません。
財前:麻生グループだけ?! 他は一社もなくなっちゃったんですか。
麻生社長:安川電機も石炭採掘に端を発する会社ですが、既にオーナー企業ではないですからね。家業として今も事業を続けているのは当社くらいだと思います。
財前:どうして他はつぶれて、麻生グループだけが生き残れたのですか。
麻生社長:創始者である麻生太吉は、ある程度の量の石炭を掘ったら東京の財閥に買ってもらって、そのお金で銀行、電力、鉄道、病院といった地域の産業基盤になるような事業を次々と起こし、育てていきました。その流れの一つにセメント事業があり、戦後、炭鉱閉山という時代の流れの中で、「黒(石炭)から白(セメント)へ」をスローガンにいち早く事業転換に成功したのです。
麻生社長:炭鉱主の中には、さまざまな事業を手掛けた結果失敗したところや、逆に「石炭以外は一切手を出すな」という家訓を守って閉山後に何も残らなかったところもあり、いずれも家業をたたみました。ですから、事業存続のためには時代に合わせた変化が絶対に必要ですが、なおかつそれが先を見通した上での「正しい変化」でないと意味がない。やみくもに変化すればいいというものではないんですね。そういう意味で、麻生グループの創始者は先見の明がありました。
財前:「正しい変化」かあ。時代の変化を見極めるって、投資でも大事なことだけど、すごく難しい。どうすれば正しい仮説を立てて変化していけるのですか。
麻生社長:一番良くないのは、一つの事象を見て将来を推測し、正しい戦略は無数にあるのにそのうちの一つを唯一無二の戦略だと思ってこだわってしまうこと。予想が当たればいいですが、外れると会社が倒産するというのはあまりにも運によりかかる経営であって、そういう思考の人は経営者に向いていないと思います。例えば人口減少、高齢化、他者からのイノベーションなど起こり得る事象の可能性を検討した上で、現実を見ながら選択していく。実際はふたを開けてみないと分からないし、世の中に起こることを全て予測することはできないと自覚したうえで、想像力を持つことが大事です。
また、自己実現の欲に走るのも避けねばなりません。経営者のエゴというのは誰にでもあって、経営を通して自分の能力を社会に認めさせたいとつい思ってしまう。分かりやすい例でいうと、喫茶店のオーナーになった人が、自分のセンスや商売のうまさを他人に見せたいという欲から不必要に高い家具を入れたり、珍しいコーヒー豆を置いたりしてお金をかける。一方で客の入りが悪いと、すぐに値段を下げたりと矛盾した行動をとる。これでは商売は失敗します。大企業の経営であっても同じで、例えばM&Aを行うときに、将来の利益につながるかどうかより、話題になりそうな派手な企業に魅力を感じてしまう。そういうエゴに振り回されて誤った選択をする経営者は、意外と世の中に多いですね。
財前:なるほど。私欲を捨て、冷静に会社の利益を追求する。すごく地に足がついているなあ。投資も同じで、感情に流されてはいけないんだけど、ついつい欲を出してしまうんですよね……。
財前:麻生社長が家業に戻られてから、売り上げを大きく伸ばしているそうです。
麻生社長:現在のグループの売上高は2,555億円ですが、このうち1,500億円くらいは私が入ってからの15年間で伸びたものになります。入社したときの経営状態は、売り上げに対して借入金が非常に多く、資産があるといっても流動性の乏しい田舎の土地ばかりで、強い危機感を持ちました。
財前:どうやったら、そんなにもうかる会社ができるんですか? 僕にもぜひ教えてください!
麻生社長:魔法のような特別な方法があるわけではないから、あまり期待しないでください(笑)。経営者としては常に利益が出るところを探し、確実に結果を出していく。当たり前のことですが、まずは収益性が大事です。私は2000年に家業に戻り、1年間で全ての事業を見るように言われました。当時社長だった父から「最初の1年は言いたいことがあっても口に出すな」と言われて、父のアドバイスはほとんど守れなかったのですが、これは守れたのではないかと思っています(笑)。
事業を回る中で、成功例の一つとして病院経営のコンサルティング事業の説明を受けました。診療報酬がマイナス会計になったり、ちょうど不良債権の増加が問題になっていたころで、病院だって経営が苦しいところが多いのは間違いない。ビジネスチャンスはあるしコンサルタントも優秀でしたが、適正なフィーをいただくという点がボトルネックになっていました。そうはいっても、病院にコンサルタント能力を認めてもらって適正なフィーを得るための交渉は難しく、手間がかかりすぎる。それよりも経営を改善する能力を高めることに集中したほうがいい。そう考えて、グループの提携病院を増やすことにしました。幸い、このビジネスモデルは成功し、医療分野は売り上げの伸びに大きく貢献しています。
財前:持っているリソースを使って、いかに事業を大きくするか。それを考えるのが経営者の役割なんですね。
麻生社長:当社の場合はもう一つ、地域の雇用を守るという役割もあります。創業の地であり、今も本社がある福岡県飯塚市は、市町村合併する前の人口がおよそ8万人で、筑豊地域全体でも40万人くらい。その中で、当社はグループで1万人以上と決して小さくない雇用を事業によって生み出しています。
プレッシャーとは思いませんが、地域のためにも会社をつぶしてはいけないという責任の重さは自覚しています。雇用は絶対に守る。例えばスーパーなどは収益性が低い事業ですが、地元の農家や商店から商品を仕入れたり、パートの方たちなどの雇用もあり、地域経済への貢献は小さくありません。こうした事業を存続していくことも当社の使命だと考えています。
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財前:家業を継ぐって、すごく大変なことだなあ。「絶対につぶせない」という責任の重さは、僕にはちょっと想像できないレベルです。麻生社長が持っている強い使命感は、子供のころから後継者として育てられた、いわゆる帝王学によって身に付いたんですか。
麻生社長:帝王学とまでは言えませんが、育った環境はやはり大きいですね。五歳まで住んでいた飯塚の家には、お手伝いさんや庭師さん、門番さんの方たち三十人くらいが麻生家のために働いていました。私にとっては皆家族のような存在でしたが、父の事業が失敗したら彼らが路頭に迷うということも子供ながらに感じていました。
Photo by TANAKA Juuyoh(CC BY 2.0)
麻生社長:また、幼稚舎から慶応義塾に通うと、親が経営者という同級生がたくさんいます。バブル崩壊後に家業がうまくいかなくなり、それをきっかけに家族や親せきの仲が悪くなったという同級生の話を結構聞いて、他人ごとではないと強く思いました。あとは小学生のころ庭で遊んでいて、母親から「あなたは広い家に住んでいると思っているけど、事業が傾いたらこんなもの全部なくなるのよ」と言われたのは強烈に覚えていますね。母親から恐怖心を植え付けられた影響も大きい(笑)。
財前:サラリーマン経営者とは、覚悟が違うって感じがします。
麻生社長:個人としての欲やら私情よりも、まず会社がある。これは経営者としての強みといっていいかもしれません。私は、会社の部下とは個人的な付き合いはほぼありません。ランチを一緒に行くのは、人事の伝達など何かしらの理由があるときです。私が会社に入ったとき、お歳暮を贈ってくれる社員が結構いたのですが、手を付けず、今では誰も私にものを贈って来ません。
財前:わ、かっこいい!
麻生社長:そういうことをしても意味がないと、贈ってくださる方だけでなく、周囲の人にも態度で示して分かってもらうことが大切なのです。人事に私情が入っていると周囲に思われるのは、いいことではありません。私が決断した人事が公平だと社員に思ってもらうために、個人的な付き合いをしないようにしているのです。会社自体は、フラットな組織でアットホームな雰囲気が社風としてずっとあります。
財前:医療分野を中心に順調に売り上げを伸ばして来ましたが、これからのビジネスをどうお考えですか。
麻生社長:医療のマーケットは今後もしばらく広がりますが、団塊世代がピークアウトした後は限界があります。ですから海外への投資を増やし、将来に備えています。社員の英語教育にも力を入れていて、希望すれば無料で授業が受けられるようにしました。この教育は地域にも広げていて、飯塚に住んでいる小学校3年生から中学校3年生を対象に無料で英語の授業を受けられ、選抜式で海外にも留学できる制度を作りました。
財前:なぜそこまで英語教育にこだわるのですか。
麻生社長:私は、日本が今後、財政面や経済力で地盤沈下していくのは避けられないと思っています。そのとき、従業員が医療分野で磨いてきた技術が、日本語でしか通用しないというのはまじめに働いてきた社員にはリスクです。せめて英語が話せれば、「じゃあ、香港の人を診る」といえるわけですね。うちのグループから出て、活躍することもあり得る。そういうチャンスを、従業員をはじめ地域の子供たちに残しておきたい。
明治時代、多くの人々が職を求めて南米や西海岸に渡りました。私はその人たちを尊敬しています。今の日本は国際的に見て平均以上の生活ができるし、ポテンシャルもあるのにグチを言う人が多くて、そこまで真剣に生きていない。食い詰めて海外に出て行った先人たちのように、ガッツを持って挑戦していく人をこの筑豊から輩出したい。そういった環境を作り、チャンスを生み出していくことに、経営者としての義務とやりがいを感じています。
あそう・いわお
1974年生まれ。慶應義塾大学経済学部を首席で卒業後、日本長期信用銀行に入行。退職後、ケンブリッジ大学への留学を経て2000年に家業である麻生セメント(現・株式会社麻生)監査役に就任。翌年から取締役となり、医療事業開発部長、新規事業開発部長、不動産事業本部長、グループ経営委員などを経て2010年に社長就任。ドワンゴ取締役を兼務している
※出典:三田紀房公式サイト ( https://mitanorifusa.com/articles/investments/17 ) ©三田紀房/コルク